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05 SUPER GT第8戦SUZUKA

Category : 
SuperGT
2005-11-14 0:00
最終戦鈴鹿ラウンド。どのチーム、どのドライバーにとっても、シーズンを締めくくる大事なレース、泣いても笑ってもこれが今年最後!という強い思いがあったことと思います。Team Honda Racingとしても、最終戦を迎えた時点で、チーム、そしてドライバーズタイトルをリードし、8号車のドライバーズタイトルはかなり優位につけており、僕ら18号車TAKATA童夢NSXのみならず、Honda全体で8号車ARTA NSXのチャンピオン獲得のために力を尽くすことを誓い、臨みました。僕自身も当然身が引き締まり、いつも以上に緊張感もあり、毎年そうであるように、今年も最終戦は間違いなくエキサイティングなレースになるだろうと想像していました。

金曜のフリー走行日。天候は良く、快晴の空のもと、チーム一丸となって、セッティングを煮詰めていくことに集中しました。事前に8号車は鈴鹿で、僕ら18号車は菅生で今回に向けてのテストを行っていた為、そのデータを元に順調に進めていけました。午前中こそやや遅れをとっていたものの、最終的には18号車がこの日の総合トップタイムを記録することができました。とはいうものの、タイムはかなりの僅差であり、さらに18号車より50?多くウェイトを積んだ8号車との差が0.1秒差という結果にはやはり満足できませんでした。これではトップタイムを出しても余裕は全くない状態と言っても過言ではありませんでした。しかし一方、Honda NSXとしては、ウェイトに関係なく、速さを見せられるということは、チャンピオン獲得の為には、当然有利なことであり、他のメーカー・チームへもかなりの脅威的だったと思います。そしても僕もこの時点では、この最終戦で8号車がドライバーズタイトルを獲るということは確実だろうと確信していました。8号車がノーポイントになることは、よっぽどのことがない限りないだろうと。
ワークスチームとしてスタートした今年、同チーム内で2台で切磋琢磨しあって、毎レーストップを目指して競い合う、という形が理想的な形でした。しかし、同じHonda NSXとして、同チームのマシンに水をあけられてしまった今シーズンは、僕にとって、本当に悔しく辛い一年でした。まがりなりにも「ホンダのエース」と呼ばれている以上、その僕がやるべき仕事は何なのか、まずは速く走って結果を出すことがもちろんなのかもしれないが、そこまでに至れないのは何故なのか、毎レース終える度に、その要因分析に明け暮れるシーズンでした。しかし、最終戦は、最後だからこそ、
チームのため、Hondaのため、そして応援してくれてる全ての人達の思いに応えられるような、僕らしい戦い方をしたい、それが出来ればまた新たな気持ちで来年に向けて前進できると思いました。

予選日。前日に続き、この日も雨は降らず、完全なドライコンディションで良い天候、最終戦らしく、正々堂々と他のマシンと戦えること期待できました。500クラスの予選が開始し、最初の10分ほど様子を見てピットで待機、そしていよいよコースインしまずは1周タイヤを温め、さあ、アタック開始というところで、何と12号車カルソニックインパルZの井出選手が大クラッシュ!これにより赤旗中断になり、予選は15分後に再び再開となりました。渾身のアタックをすべくまずタイヤを温めていた矢先のできごとに、少々出鼻をくじかれてしまった感もあり、結局1回目の予選は納得のできない5位で終了してしました。しかし、とりあえず午後のスーパータップ進出を決めることができたので、まだあるチャンスを生かして、ポジションアップを狙うことにしました。
午前の予選、マシンがややアンダー気味だったのが気になっていたので、スーパーラップ前の15分間のフリー走行の際も、最後までセッティング調整をしました。車高を数ミリ落としてもらい、コースインしたところ、下げすぎてしまったようで、2コーナーでコースアウト。マシンにはダメージもなく、またピットに戻った際に、行き過ぎてしまった0.5ミリを上げてもらいました。このように、ギリギリまで微妙な調整を繰り返し、ようやく良いフィーリングを確保できました。そしていよいよスーパーラップ開始。300クラス、そして500クラスと次々各マシンがアタックに臨み、ついに僕の前の8号車がスーパーラップに入りました。予想通り、8号車は堂々のトップタイムを叩きだしました。そして僕の番となり、慎重にアタックをし、8号車を0.5秒上回るタイムを記録し、この時点でトップに躍り出ました。ここまでは順当。しかしこの後、4台が控えており、どこまでトップを守れるのか、静かに見守りました。まずは同じNSXの32号車をクリア。ここでポジションをひとつあげ、4番グリッドを獲得しました。そして、3台のスープラのアタックを残すのみとなりました。ここ最近、鈴鹿ではなかなか本来の速さをみせられないでいたスープラでしたが、今年の最終戦は予想以上に速かったです。3台すべてに前を譲ってくれることなく、僕ら18号車は、4位からの決勝スタートが決定しました。

決勝日。悪くなると予想されていた空模様ですが、予想通り、朝のフリー走行が始まる頃からパラパラと雨が降りだしました。最後のレースはドライで思い切り走って悔いなく戦いたい、皆がそう思っていたに違いないし、観ている人も皆そう思っていたことでしょう。しかし無情にも、この日の雨は止むことなく降り続け、決勝前には、まさに土砂降り状態となってしまったのでした。決勝前のフリー走行でマシンに乗り、そのままグリッドについた僕も、あまりの雨に、シューズが濡れることを嫌い、シートを被されたマシンのコクピットに座ったまま外に出ることができませんでした。激しい雨の中、各チーム関係者が口々に「これは危ない!」「レースできる状態じゃないぞ!」と騒がしくなって来る中、僕はコクピットでじっとスタートの時を待っているしかありませんでした。その後、度々のスタートディレイが発表され、それは1時間弱続きました。最終的に、セーフティーカースタートが決まり、周回数も39周と減らされてレースが行われることとなりました。そして最悪なことに
無線が雨で壊れまったく交信が取れない状態でした。
セーフティーカーと共にレーススタート、3周たった後、セーフティーカーがピットロード入り口へと入っていきました。弱まることのない土砂降りの雨の中、スタート直前の最終コーナーで、アクセルを強く踏んだ瞬間、僕は何と足元をすくわれスピンを喫してしまいました。自分自身、信じられませんでした。3周のセーフティーカーランの間、そこに水溜りがあることを認識していたにも関わらず、突然のハイドロプレイング現象に陥ってしまいました。急いでコースに戻り、500クラス最後尾から、無我夢中で怒涛の追い上げをはじめました。自分自身でふいにしてしまったスタートポジションを取り戻すべく、マシンを走らせました。不思議なもので、その後、また水溜りに足元をすくわれるのではないかと恐れるどころか、むしろすくわれるかすくわれないかのギリギリのところを攻めた走りができ、いいタイムでラップを刻むことができました。決勝前のフリー走行の際も、土砂降りの中、18号車が良いタイムを出していたこともあり、この状況でもマシンが良い状態であることはわかっていました。とにかくひとつでも前へ、そのことだけを考えていました。
ただでさえ少なくなった周回数の中、他のチームはスタート直後にドライバーを交代し、レースの成り行きを見つめながら二人目のドライバーにすべてをゆだねる作戦に出ていました。その時、Team Honda Racingの2台にはピットインのサインは出なかったので、とにかく小暮選手に交代するまで懸命に走り続けました。17周終了後、他車のクラッシュによるセーフティーカーが入りました。ここでもHonda Racingの2台にピットインの指示は出ず、コースに残り、セーフティーカーランの終了後、ようやく8号車が、そして続いて18号車がピットインしました。8号車はタイヤを4本とも交換していましたが、一方僕ら18号車は、ピット作業短縮の為、タイヤ無交換でドライバー交代、そして、小暮選手のドライブでコースへと復帰しました。止んでいく雨の中、レインタイヤで懸命のプッシュをし、好タイムを連発してくれました。チャンピオンのかかっていた8号車は、ドライバー交代の際にポイント圏外に順位を落とし、さらに伊藤選手に代わってから追い討ちをかけるように他車への接触でペナルティーを受けてしまい、この時点でチャンピオン争いから脱落してしまいました。
結局、18号車は6位でフィニッシュ。NSXでは最上位で終わったものの、レースは38号車ZENTスープラがポールトゥーウィン、今季3勝目をあげてドライバーズタイトルを獲得、チームタイトルは辛くもニスモが獲得し、Hondaとしてはドライバーズタイトルもチームタイトルも逃す結果となってしまいました。

Team Honda Racingとして、ワークス2台体制をスタートした2005年Super GT元年、この最終戦の結果が全て、今年を物語っていたような気がします。何か、どこかで歯車がいつも噛み合わなかった・・・そんな一年でした。誰も決して手は抜いていませんし、常に勝つことを目指して努力を重ね、力を尽くしてきたことは言うまでもありません。でも、どこかでちょっとしたずれが生じ、それが最後まで修正できずに終わってしまったのだと思います。シーズン途中にエンジンをターボからNAにスイッチし、マシンのポテンシャルは劇的に向上し、「勝利」をすぐ近くに見据えて戦える状況に一変しました。「勝利」を急ぎすぎたのか、意識しすぎたのか、近年レギュレーション等に苦しめられ、「勝利」から遠ざかっていたNSXの状況を思い起こせば、これほど「勝利」を近くに感じながら戦えたのは久しぶりのことでした。昨年と比べれば、それだけでも良い状況だとまず思い、そして「勝利」を目指し、と、落ち着いて順序を踏むことも出来たのかもしれません。有利になったはずのシーズンが、思わぬ落とし穴により、なかなか勝ち星をあげられないという悔しいレースの連続となりましたが、「悔しい」という思いをこれほど強く感じることができるレースが出来たことは、間違いなく来年に繋がると、僕は信じています。
しかし、僕は最終戦にして、スタート直前にスピンを喫するというミスを犯してしまいました。「あの土砂降りの天候の中、誰がいつ想定外のスピンに見舞われるかわからない状態だったから仕方ない」と言ってくれる方も少なくありませんでしたが、これは言い訳のしようのない、僕のミスだったと僕は反省しています。いつも以上に読みにくい天候の中、作戦のとり方も非常に難しかった今回のレースにおいて、スピンした後の僕の追い上げと、天気が回復しつつある状況での小暮選手の走りを振り返ると、ますますあのミスは悔やまれてなりません。レース後、自分のミスとして小暮選手には謝りましたが、彼は僕を責める事は一切せず、むしろ僕に感謝の意を示してくれました。悪いところばかり目立ってしまったような今シーズンでしたが、最後に一筋の明るい光を見出せました。辛いシーズンだったからこそ、小暮選手と共にレースの時もレース以外の時も、いろんなことを話し合い、良い信頼関係を気づけたと確信しました。来年もまた、彼と一緒に頂点目指して戦えることを心から望んでいます。

鈴鹿の最終決戦から一夜明けて、早々に来年に向けてのテストを始めました。ここで僕は今年の僕に何が足りなかったのか、何となくわかった気がしました。手を抜いてなかった、常にベストを尽くしていた、それでもなぜ結果に結びつかなかったのか。
「勝つこと、それが全て」・・・いつだか、Hondaの企業広告でこのようなフレーズが打ち出されていたのが記憶に残っています。レースは2位も3位もいらない、1位だけが全て、そういうHondaのスピリットを持ち、僕も常に戦っていました。結果を残せなければそれは0点。エースと呼ばれるからこそ、評価は0点か100点のどちらかになるということ常に念頭に置き、今までレースに挑んでいましたが、今年はそれを改めて感じた1年でした。そういう意味で、今僕が今年の自分を自己採点するとすれば、0点だったと思います。
だからといって、後ろ向きなき持ちになっているわけではありません。今は吹っ切れて、むしろ前向きな気持ちでいます。辛いシーズンであっても、シーズンが終わってしまえば、やはり早く次のシーズンを迎えたい!やっぱり走りたい!!と思うのがレーシングドライバーの性なのでしょうか。今年の僕にとって、素晴らしい収穫であった小暮選手というパートナーと、来シーズン、どのように戦っていくべきなのか、僕達は決勝レースが終わったその夜に、ホテルでそのような話をしていました。僕は今までもこれからもレーシングドライバーであり、これが僕の生きる道と痛感できた今年は、きっと生涯忘れられない年になることでしょう。

一年間、ご声援いただきましたファンの皆様には深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。次こそは、次こそはと辛抱強く激励し続けて下さったこと、感謝してもしきれません。これから短いオフに入りますが、来年に向けてのテストはすでに始まっています。しっかりと役割を果たし、来シーズン、僕自身にとっても、Honda NSXにとっても2度目のチャンピオンを獲得すべく、一日一日を大事に過ごすつもりです。皆様のご期待に応えられる僕であるために、これからも頑張ります!今後とも、変わらぬ応援をよろしくお願い致します。

レーシングドライバー
道上 龍

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